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2008年4月19日 (土)

ベリオのレンダリング

2008年4月19日の東京交響楽団定期演奏会で演奏された、ベリオのレンダリングですが、「Rendering」を英和辞典で見ると、表現、演出、解釈、翻訳、訳文、完成予想図、画像の三次元化…などという言葉が並んでいます。
私は建築やデザインの世界にはあまり馴染みがないのですが、なんとなく言葉の雰囲気は「わかったような気分」にはなりました。

ウィキペディアには、
「交響曲ニ長調D-936の補筆完成の一つであるが、ベリオはシューベルトの様式を完全に守って完成させるのは不可能だとして自分の個人の様式で自由に後を続けた。」
と書かれています。

2007年7月1日にNHK-FMで、この曲のブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラによる演奏が放送されました。
(2007年2月18日、ベルギー・ブリュージュ・コンセルトヘボーでの演奏)
アスコ・アンサンブルとシェーンベルク・アンサンブルが共演しており、放送時の解説によると、シューベルトが作曲した部分は18世紀オーケストラ、ベリオが補作した部分はアスコ・アンサンブルとシェーンベルク・アンサンブルが演奏していたとのことです。
このときの印象は、ロマン派の時代の音楽と20世紀の音楽が交互に演奏されたような、ちょっとつぎはぎのような印象でした。
「ベリオのような大家が独自色を出して取り組まなくても、音楽学者が補作すれば良いではないか?」とさえ思いました。

そう言えば、プッチーニの「トゥーランドット」のベリオ補作版(演奏会形式)を東京交響楽団の定期演奏会(2005年6月12日、スダーン指揮)で聴いたときも、「変わっていて面白い」とは思いましたが、やはり違和感は感じました。
慣れの問題だったのかどうかは、その後聴いていないのでわかりません。
でも、ずっと暗譜で自信満々に確信を持って歌っていたような歌手陣が、ベリオ補作の箇所からは楽譜を見ながら歌っていたのも象徴的だったような気もします。

話しをレンダリングに戻すと、この曲のCDは、私は(あまり聴き込んではいませんでしたが)シャイー指揮のものを持っていました。
「ベリオ・トランスクリプションズ」というCDで、ベリオが編曲(補筆?補作?)した様々な曲が収められています。
こちらの演奏は、前述のブリュッヘン指揮の演奏に比べると、全体的に厚い響きをもって演奏され、統一感を感じます。
極端にシューベルト的でもないし、極端に20世紀音楽的でもなく、ベリオ作曲、シューベルトの交響曲風の3楽章の管弦楽曲…とでも言いたくなるような、独自の世界が展開します。
こういう演奏だったら、オーケストラの日常的なレパートリーのひとつに加わっても良いのではないかと思いました。

もっとも、2008年4月19日の東京交響楽団の演奏会のプログラムの冊子(広瀬大介さんの解説)によれば、「完成」を目指す発想を放棄し、シューベルトの遺志を汲んだ「補筆」ではなく、ベリオ自身の音響で「修復」した…とあります。
また、聴き手は、現実と夢の間を行き来しながら、次第に両者の世界はさほど隔たった場所にあるわけではないことが明らかになる…とも書いてあります。

そういう意図であれば、ブリュッヘンの演奏に感じた「つぎはぎ」という印象は、むしろ意図されたもののようにも思えてきます。
なかなか一筋縄ではいかない、興味深い曲だと思いました。

なお、シャイー指揮のCD(国内盤)には、英語で「Rendering for Orchestra」と小さく書いてあるところの上に、日本語で「交響曲スケッチに基づく《レンダリング》」と、親切な(?)タイトルが付いています。

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