スダーン/東響(2009/5/9)
2009年5月9日(土)18:00
サントリーホール
指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団(第567回 定期演奏会)
ヴァイオリン:インゴルフ・トゥルバン
チェロ:ウェン=シン・ヤン
ブラームス:悲劇的序曲
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
シューマン:交響曲第1番「春」(マーラー版)
オケがこれだけ良く鳴ると快感です。
サントリーホールの残響を味方につけたトーン。
しかも、スダーンさんのたたみかけるようなスピード感はスリリング。
東響とのコンビは、相変わらず絶好調のようです。
新国立劇場のピットに入っている期間中の定期演奏会ですが、先日のハイドン・プロも含めて、そのようなハンディは全く感じられませんでした。
この日の白眉はマーラー版のシューマン。
専門的なことはわかりませんが、リッカルド・シャイー指揮(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)のCDで聴いた印象と同じく、全般的にかなりシンフォニックになっている印象を受けました。
「都会に出て来たシューマン」と言う比喩が適切かどうかわかりませんが、スカッと鳴り響きます。
「耳慣れない」と感じた箇所はごく一部分で、オーケストレーションの細部の微修正手直しといった感じです。
しかし、この日悟ったことは、楽譜も重要ですが、演奏行為において、いかに指揮者の影響度が大きいか、ということ。
「マーラー版かオリジナルか」よりも「指揮者が誰か」の方が、はるかに演奏の結果に影響を与えているようです。
(たとえば、CDで言うと、同じマーラー版のはずのアルド・チェッカート指揮(ベルゲン・フィル)は、シャイーのCDとはずいぶん印象が異なります。)
スダーンさんは、指揮棒を持たない両手で変幻自在にアクセントをつけながら、音楽的にまったくおかしいことをしていない。
ロマン派の曲なのでピリオドアプローチの演奏ではありませんが、このスピード感は、スダーンさんの古典派の曲におけるピリオドアプローチの精神に通じるものがあるような気がしました。
マーラー版で演奏することは、「珍しいものを披露する」という以上に、かなり意義があるような気がします。
まるで「フォルテ・ピアノによる演奏で聴いていた曲を、モダンピアノによる演奏で聴いた」ような感じ。
メカ的にたどたどしいところのあるフォルテ・ピアノは素朴な味わいがありますが、モダンピアノの構造はやはり格段の差があります。
音楽に興奮しながら、いろいろなことを考えさせられた演奏でした。
前半のブラームスも、シューマンを聴く前は「すごい!」と思って聴いていました。
悲劇的序曲も前座の慣らし運転などではなく、交響曲の第1楽章のよう。
マーラー版のシューマンのサウンドとはちょっと異なり「古き良きヨーロッパの響き」の印象もありました。
二重協奏曲でのオーケストラも、決して伴奏などではなく、引き続き、交響曲のよう。
ソリストでは、ヴァイオリンのトゥルバンさんの音が、柔らかい手触りの布のようなきれいな響き。
かなりハイテンションで力を込めて弾いていたと思いますが、決して音が濁らず、心地良く聴かせていただきました。
チェロのヤンさんは、冒頭の低音が少し荒っぽい印象を受けましたが、曲が進むにつれて音はきれいになっていったように思います。
ヴァイオリン、チェロ、指揮者&オケの3者が、競争、強奏しながら、三位一体となって協奏するという、一体感のある演奏でした。
このところ、この二重協奏曲を聴く機会が多いです。
2008年12月の読響、2009年2月の東フィル、3月の神奈川フィル。
この日を含めて、それぞれずいぶん違う演奏ですが、いずれも魅力的でした。
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