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2009年5月の6件の記事

2009年5月28日 (木)

エルツ/読響(2009/5/28)

2009年5月28日(木)19:00
サントリーホール

指揮:オラリー・エルツ
読売日本交響楽団
(第482回定期演奏会)
ヴァイオリン:バーナバス・ケレマン

シベリウス:トゥオネラの白鳥
      レンミンカイネンの帰郷
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタからブレスト
       
(アンコール)
ラフマニノフ:交響的舞曲

一曲目の「トゥオネラの白鳥」では、指揮者は、ほとんど目を伏せたまま淡々と振っていて、「シャイなのかなぁ」と思いましたが、出てくる音は結構ニュアンスの豊かな味わい深い音。
これが「レンミンカイネンの帰郷」になると、力の入った鋭角的な動作の指揮に変貌し、眼光鋭くオケをひっぱり、歯切れの良い音響が響き渡ります。

私がエルツさんの指揮を聴いたのはこの日が初めてなので、ちょっと捉えどころが難しく感じましたが、しっとりと歌わせるところの豊かな情感は魅力的でした。
「トゥオネラの白鳥」だけでなく、ラフマニノフの交響的舞曲でも、随所でオーケストラがうねるように歌います。
そういう部分では、エルツさんの指揮の動作は、素人目には、一見、やる気が無さそうに義務的に振っているようにも見えてしまったりするのですが、この動作からどうして、こういう豊かな旋律が出てくるのか、ちょっと不思議。

力むくらいに力を込めた部分では、指揮の動作の視覚的な印象と、出てくるオケの音の印象は一致し、ぐいぐいと引っ張って、ズシン、ドカンと鳴らしますが、乾いた音ではなくて潤いもある音なので、聴いていて心地良い。
「交響的舞曲」という言葉の通り、シンフォニックなサウンドを楽しみました。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲では、独奏のケレマンさんの音が美しい。
なんとも甘美な音で鳴る楽器です。
プロコフィエフとは思えないくらい情感を感じる演奏で、特に第2楽章は、ロマンティックにすら感じました。
そう言う意味では、独奏のケレマンさんと、指揮者のエルツさんの音楽的な相性は、結構良かったのではないかと思います。
アンコールに演奏されたバルトークですら、バルトークとは思えないくらい魅了される旋律に感じました。

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2009年5月25日 (月)

小林研一郎/都響(2009/5/25)

2009年5月25日(月)19:00
東京文化会館

指揮:小林研一郎
東京都交響楽団
(第680回定期演奏会Aシリーズ)

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」

「わが祖国」はコバケンの18番。
翌日のサントリーホールでの演奏会も含めてチケットは完売のようです。
昨年予定されていた演奏会が中止になったリベンジという話題性も多少はあるのかもしれませんが、やはり聴衆の演奏に対する期待の高さの現れでしょう。

この日は第一曲の「ヴィシェフラド」(高い城)からパワー全開。
大音量が意思の力を持って迫ってきます。
間合いを置かずに続けて演奏された「モルダウ」では、弦楽器のうねるような音の流れが大河の雄大な水の流れを連想させ、圧倒されました。

ここで間合いを取った指揮者は、かなりの時間をかけて顔の汗を拭っていました。
再開後の「シャルカ」でもテンションの高さは持続しましたが、殺戮の総攻撃の前の旋律の不気味さは、わかって聴いていても、背筋が寒くなってゾッとするほどでした。

休憩後の3曲も同様の熱演。
「ボヘミアの森と草原より」の終結部や、「ターボル」の終結部、「ブラニーク」の開始部などの鋭い音の迫力。
そうかと思うと、流れるような旋律の歌わせ方の中間部。
「ブラニーク」終結部は、煽ったりせず、むしろ悠然と余裕を持って推進。

この日の弦楽器や木管のニュアンスは抜群。
随所で、ハッとするような美しい箇所、あるいは「オッ」と思うようなアクセント。
(金管については、このホールの音響では少しうるさめに聞こえてしまうのですが、サントリーホールなら違う印象を持ったと思います。)
コンマスの矢部さんも随所で大きく体を揺らしての演奏。
各奏者のテンションも、かなり高かったように見えました。

曲が完全に手の内に入っているコバケンの、お約束の名演でした。

私がコバケンの指揮する「わが祖国」を聴くのは10年ぶりです。
前回は1999年11月28日のチェコ・フィル来日公演でした。
CDが発売され、評判になった直後だったと記憶しています。
オケの音に魅了され、「さすがはチェコ・フィルのスメタナ」と感じました。
しかし、そのときの演奏が素晴らしかったのは、「コバケンだから」だったようです。
2007年11月22日に聴いた別の指揮者によるチェコ・フィル来日公演では、私はあまり感銘を受けませんでした。
「チェコ・フィルのわが祖国」と思っていた名演は、「コバケンのわが祖国」でした。
この日、ホールに響き渡ったのも「コバケンのわが祖国」でした。
そして、その「コバケンのわが祖国」を演じきった都響の演奏も、見事でした。

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2009年5月 9日 (土)

スダーン/東響(2009/5/9)

2009年5月9日(土)18:00
サントリーホール

指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団
(第567回 定期演奏会)
ヴァイオリン:インゴルフ・トゥルバン
チェロ:ウェン=シン・ヤン

ブラームス:悲劇的序曲
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
シューマン:交響曲第1番「春」
(マーラー版)

オケがこれだけ良く鳴ると快感です。
サントリーホールの残響を味方につけたトーン。
しかも、スダーンさんのたたみかけるようなスピード感はスリリング。
東響とのコンビは、相変わらず絶好調のようです。
新国立劇場のピットに入っている期間中の定期演奏会ですが、先日のハイドン・プロも含めて、そのようなハンディは全く感じられませんでした。

この日の白眉はマーラー版のシューマン。
専門的なことはわかりませんが、リッカルド・シャイー指揮(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)のCDで聴いた印象と同じく、全般的にかなりシンフォニックになっている印象を受けました。
「都会に出て来たシューマン」と言う比喩が適切かどうかわかりませんが、スカッと鳴り響きます。
「耳慣れない」と感じた箇所はごく一部分で、オーケストレーションの細部の微修正手直しといった感じです。

しかし、この日悟ったことは、楽譜も重要ですが、演奏行為において、いかに指揮者の影響度が大きいか、ということ。
「マーラー版かオリジナルか」よりも「指揮者が誰か」の方が、はるかに演奏の結果に影響を与えているようです。
(たとえば、CDで言うと、同じマーラー版のはずのアルド・チェッカート指揮(ベルゲン・フィル)は、シャイーのCDとはずいぶん印象が異なります。)
スダーンさんは、指揮棒を持たない両手で変幻自在にアクセントをつけながら、音楽的にまったくおかしいことをしていない。
ロマン派の曲なのでピリオドアプローチの演奏ではありませんが、このスピード感は、スダーンさんの古典派の曲におけるピリオドアプローチの精神に通じるものがあるような気がしました。

マーラー版で演奏することは、「珍しいものを披露する」という以上に、かなり意義があるような気がします。
まるで「フォルテ・ピアノによる演奏で聴いていた曲を、モダンピアノによる演奏で聴いた」ような感じ。
メカ的にたどたどしいところのあるフォルテ・ピアノは素朴な味わいがありますが、モダンピアノの構造はやはり格段の差があります。
音楽に興奮しながら、いろいろなことを考えさせられた演奏でした。

前半のブラームスも、シューマンを聴く前は「すごい!」と思って聴いていました。
悲劇的序曲も前座の慣らし運転などではなく、交響曲の第1楽章のよう。
マーラー版のシューマンのサウンドとはちょっと異なり「古き良きヨーロッパの響き」の印象もありました。
二重協奏曲でのオーケストラも、決して伴奏などではなく、引き続き、交響曲のよう。
ソリストでは、ヴァイオリンのトゥルバンさんの音が、柔らかい手触りの布のようなきれいな響き。
かなりハイテンションで力を込めて弾いていたと思いますが、決して音が濁らず、心地良く聴かせていただきました。
チェロのヤンさんは、冒頭の低音が少し荒っぽい印象を受けましたが、曲が進むにつれて音はきれいになっていったように思います。
ヴァイオリン、チェロ、指揮者&オケの3者が、競争、強奏しながら、三位一体となって協奏するという、一体感のある演奏でした。

このところ、この二重協奏曲を聴く機会が多いです。
2008年12月の読響、2009年2月の東フィル、3月の神奈川フィル
この日を含めて、それぞれずいぶん違う演奏ですが、いずれも魅力的でした。

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2009年5月 8日 (金)

飯守泰次郎/東フィル(2009/5/8)

2009年5月8日(金)19:00
サントリーホール

指揮:飯守泰次郎
東京フィルハーモニー交響楽団
(第770回サントリー定期シリーズ)
ピアノ:アンドレイ・コロベイニコフ

芥川 也寸志/交響管弦楽のための音楽
グリーグ/ピアノ協奏曲
チャイコフスキー/交響曲第5番

意外にもカラフルな音。
飯守さんの音は「重厚な重低音」というイメージがあったのですが、この日は印象が違います。

一曲目から「あれ?いつもとちょっと違う」と思いました。
芥川 也寸志さんの曲は、和風であると同時にロシア風でもあるような、ちょっと不思議な響きとメロディーの曲。
いつもの飯守さんのズシンとくるような重低音はありません。
代わりに、スカッとしたシンフォニックなサウンドが鳴り響きました。
飯守さんはこの曲のCDも録音しているだけあって、手の内に入った棒さばき。
リズムも、軽やかながらしっかりとした足取りの運びでした。
演奏効果のある終わり方の曲なので、会場も一曲目から沸いていました。

グリーグを弾いたコロベイニコフさんは、耽美的な旋律の歌い回しが素晴らしい。
比較的遅めのテンポで、完全に曲にのめり込んだような、今にも泣きそうな表情でピアノに向かうコロベイニコフさん。
弾き終わった後の、ぴょこぴょことお辞儀をする姿とは別人のようです。
オケの方は、多少、伴奏に徹していた感もありますが、遅めのテンポのグリーグは、まるでブルックナーの緩徐楽章のようです。
最後の最後は、伸びのあるシンフォニックなサウンドで華を添えました。

休憩後のチャイコフスキーも、土俗的な音楽では決してなく、洗練されたスタイリッシュな響き。
それでいて、うねるような音の渦の迫力は凄まじく、純音楽的ながら壮大な音のドラマが出現しました。
飯守さんは、煽るところは煽りますが、歌うところは決して先を急ぎません。
繊細さも兼ね備えた、素晴らしい演奏でした。
ドイツものとは異なる飯守さんの多彩な表現を、新鮮な耳で満喫しました。

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2009年5月 2日 (土)

スダーン/東響(2009/5/2)

2009年 5月2日(土)18:00
東京オペラシティ・コンサートホール

指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団
(東京オペラシティシリーズ第49回)
ヴァイオリン:高木和弘
チェロ:西谷牧人
オーボエ:池田肇
ファゴット:大埜展男

ハイドン:交響曲第94番「驚愕」
ハイドン:協奏交響曲
(シンフォニア・コンチェルタンテ)
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

前日の夜の新国立劇場のピットに入っていた東京交響楽団ですが、この日は隣のオペラシティのステージ上。
ただし、首席奏者などはそれぞれに分かれて“分担”している人が多いようです。

この日の演奏会は、ずっと「聴きたいけどこの日は聴けない」と残念に思っていたのですが、新型インフルエンザ騒ぎで旅行を取りやめたために聴くことが出来ました。
カーネギーホールやメトロポリタンオペラでの鑑賞が出来なかったのは残念ですが、この演奏を聴けたのは怪我の功名というか塞翁が馬というか…。

2007年度の東響の定期演奏会はハイドン・ツィクルスでしたが、私にとっては多少不満の残るものでした。
スダーンさんの指揮したのは一部を除き、初期の曲ばかり。
後期の曲は確か一曲も指揮しなかったと思います。
最後に指揮した第82番「熊」が目の覚めるような素晴らしい演奏だったので、ますます後期の曲をスダーンさんの指揮で聴きたくなりました。
この日は、ようやくその思いがかなえられたわけです。

結論から言うと、2007年度のツィクルスは、この日の素晴らしい出来に遠く及ばなかったような気がします。
もし、あのとき、2008年度のシューベルト・ツィクルスのように、スダーンさんがザロモンセットを集中的に取り上げていたら…と思うと残念です。
しかし、過去を振り返るよりも、この日の演奏会が、この日の曲目で開催されたことを、大いに喜ぶべきでしょう。

一曲目の「驚愕」が始まった瞬間、ピリオド系の明るく鋭い音がホールに満ちて、幸せな気分になりました。
スダーンさんは、速いテンポの途中でちょっとブレーキを踏んでためをつくり、思いっきり拳を突き出してアクセントを加え、ものすごく力んで音をえぐる。
指揮者の力みが空回りすることなく、全てオーケストラから音となって出てくる快感。
このコンビの相性が、いま本当に素晴らしい状態にあることは、日頃の演奏会でわかっていますが、古典派の曲でこんな演奏を聴かされては、ただただ唖然とするばかりです。

第2楽章の「びっくり」の部分の直前では、なんと旋律がコンマスの高木さんのソロになり、高木さんは立ち上がって客席の方を向いて弾きました。
管楽器奏者から高木さんの方に向かって『Solo』、『Tutti』(総奏のこと)、『?』などと書かれた紙が高々と掲げられ、笑ってしまいました。
そういうわけで、本来の「びっくり」の一撃の部分は、そちらに気をとられてあまりびっくりしませんでしたが、その前に本当にびっくりしてしまいました。
高木さんのソロが出てくる箇所は、その後の楽章でも随所に現われました。

第2楽章、第3楽章と、緩急を織り交ぜながら全く飽きさせずに曲は進み、第4楽章は駆け抜けるようなスピード。
これを一糸乱れず弾ききった東響のメンバーはすごい。
専門的なことはわかりませんが、小編成のハイドンでこういう演奏をするのは、かなり難しいのではないでしょうか?
それを「難しそう」と感じさせずに名妓を披露するのは、やはりプロ中のプロと思います。

休憩後の「ロンドン」も、同様のスタイルの演奏でしたが、アクセントはさらに強くなり、爆演にならないギリギリの熱演。
めまぐるしいスピード感は、ストラヴィンスキーやプロコフィエフの並みにエキサイティング。
爽快感が駆け抜けていった演奏でした。
ぜひ、ぜひ、続編としてザロモンセットの別の曲の演奏会も開催してほしいものです。

協奏交響曲は、交響曲に比べると少し優雅な演奏。
オケと高木さんはノン・ヴィブラートのようだったのに対して、チェロの西谷さんは大きくヴィブラートをかけていたように見えましたが、何か意図があったのでしょうか?
4人のソリストとも好演でしたが、ここでは、高木さんのヴァイオリン・ソロが特に存在感を示しました。

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2009年5月 1日 (金)

新国立劇場「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(2009/5/1)

2009年5月1日(金)18:30
新国立劇場
ショスタコーヴィチ:
ムツェンスク郡のマクベス夫人

ゴールデン・ウィークはニューヨークへの旅行を計画していました。
しかし、新型インフルエンザ騒ぎで出発当日の朝まで迷った末、苦渋の決断で旅行は中止しました。
その日のテレビのニュースによると、米国本土行きの飛行機は、いずれもキャンセルは3~4人程度とのこと。
「リスク」を「確率」×「影響度」で評価したときに、予防に気をつけていれば「確率」はそれほど高くないかもしれません。
しかし、過剰反応かもしれませんが、呼吸器系疾患で入院までした前歴のある私は「影響度」の方を無視できなかったのです。
連休明けに海外出張の予定があり、もしその出張先で発症したら…という懸念もありました。
そういうわけで、この日はメトロポリタン・オペラではなく、新国立劇場に足を運びました。 1_3  2_23_2




この日の主役は、まさにショスタコーヴィチの音楽。
演出も、演技も、舞台装置も、全て音楽の劇的な効果を高めるためのもの。
そして、作曲家に次ぐ最大の功労者は、おそらく指揮のシンケヴィチさんでしょう。
東京交響楽団は元々素晴らしいオーケストラですが、伸びやかさと劇的な迫力を感じさせるスケールの大きいサウンドを引き出していました。
オケは、弦楽器の情感のこもった美しい響きに加えて、管楽器の強奏も決して雑にならない聴いていて爽快感を感じる音。
定期演奏会並、あるいはそれ以上の好演でした。
全幕が終わった後のピットの中では、オケのメンバーから指揮者をたたえる拍手が贈られていました。

歌手では、カテリーナ役のフリーデさんが長丁場を疲れも見せずに劇的に歌いきり、存在感を示しました。
ボリス役のアレクセイエフさん、セルゲイ役のルトシュクさんも、ドラマティックな面では多少平板な感もなかったわけではありませんが、声は立派。
他の歌手やコーラスも含めて、アンサンブルとして満足できたのは、繰り返しになりますが、指揮者の力量かと思います。

演出は、英国ロイヤルオペラのプロダクションの“輸入”のようです。
音楽を邪魔しない範囲で視覚効果に訴えていて好感でした。
最初は、まるで刑務所の中のような居間や寝室で、色彩や照明も控えめで、どうなることかと思いましたが、これはカテリーナの息詰まるような閉塞感を表したものだったようです。
ボリスを毒殺した後は、間奏曲の間、部屋のリフォーム作業が舞台上で演じられ、その後の寝室はピンクっぽい艶やかな雰囲気に様変わり。
その寝室の白黒テレビには、プロレスのような画像が映し出されたりしましたが、ボリスの亡霊は、そのテレビの画面に映し出されて口を大きくあけて歌い、リアルな幽霊よりもかえって不気味。
ジノーヴィーを殺害した後の警察の場面や、結婚式の場面も色彩的な光が、邪魔にならない程度に効果的に使われ、音楽をもり立てます。
最後の流刑地へ向かう護送の場面は、暗い中にコンテナのような護送車(?)が二つ置かれた場面。
ただ、ちょっと腑に落ちなかったのは、最後のカテリーナがソニェートカを湖に突き落とし、自分も身を投げる場面。
プロンプターの前で二人で立ったまま下に少しずつ沈んでいくのはあまり劇的ではありません。
この辺の演出の意図は、ちょっとわかりませんでした。

この日は2階席左側のバルコニー席は椅子が取り払われ、そこにときどき金管奏者が出てきて演奏します。
また、ときどきは舞台上でも演奏したり、降りた幕の前で演奏したりもして、飽きさせませんでした。

第2幕が終わった後は、多少戸惑った拍手が控えめに起きただけでしたが、終演後は結構盛大な拍手。
ドラマとしては陰惨なストーリーのようですが、ショスタコーヴィチの音楽は、結構皮肉さや滑稽さも感じさせる部分もあります。
むしろ、チャイコフスキーの「スペードの女王」の方が、私にとっては「やりきれなさ」を感じるくらいです。
また、殺人や暴行のシーンがあるので衝撃的かというと、「トスカ」だって初めて観たときは、主役が3人とも死んで結構ハラハラ、ドキドキ。
あるいは「カルメン」ですら、見方によっては刺激的なストーリーかも。
あまり構えることなく楽しんだ方が良いような気もします。

ショスタコーヴィチがこのオペラに与えた音楽は魅力的です。

【指揮】ミハイル・シンケヴィチ

【演出】リチャード・ジョーンズ
【美術】ジョン・マクファーレン
【衣裳】ニッキー・ギリブランド
【照明】ミミ・ジョーダン・シェリン

【芸術監督】若杉 弘

キャスト
【ボリス・チモフェーヴィチ・イズマイロフ】ワレリー・アレクセイエフ
【ジノーヴィー・ボリゾヴィチ・イズマイロフ】内山信吾
【カテリーナ・リヴォーヴナ・イズマイロヴァ】ステファニー・フリーデ
【セルゲイ】ヴィクトール・ルトシュク
【アクシーニャ】出来田三智子
【ボロ服の男】高橋淳
【イズマイロフ家の番頭】山下浩司
【イズマイロフ家の屋敷番】今尾滋
【イズマイロフ家の第1の使用人】児玉和弘
【イズマイロフ家の第2の使用人】大槻孝志
【イズマイロフ家の第3の使用人】青地英幸
【水車屋の使用人】渥美史生
【御者】大槻孝志
【司祭】妻屋秀和
【警察署長】初鹿野剛
【警官】大久保光哉
【教師】大野光彦
【酔っ払った客】二階谷洋介
【軍曹】小林由樹
【哨兵】山下浩司
【ソニェートカ】森山京子
【年老いた囚人】ワレリー・アレクセイエフ
【女囚人】黒澤明子
【ボリスの亡霊】ワレリー・アレクセイエフ

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

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