« インバル/都響(2012/9/20) | トップページ | ピノック/紀尾井シンフォニエッタ東京(2012/9/23) »

2012年9月22日 (土)

スラットキン/N響(2012/9/22)

2012年9月22日(土・祝)15:00
NHKホール

指揮:レナード・スラットキン
NHK交響楽団

(第1734回定期公演Cプログラム)

リャードフ:8つのロシア民謡
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

あまり情念を込めず、きれいに、立派に鳴らしただけ(失礼!)なのに、その立派さ!と言ったら、文句のつけようもありません。
そして、きれいに鳴っている音は、絶妙のニュアンス!
米国式(?)のロシア音楽とソ連音楽は、屈折せず、いくぶん楽天的で、でも、こういうのもありだよなーと楽しんで聴ける、美麗なサウンドでした。

前半のリャードフの曲は15分くらい。
ふだんN響をあまり聴かない私ですが、やっぱりこの洗練された音は「うまいなー」と思います。
もちろんスラットキンさんの指揮があってのことでしょうが…。
あまり民俗的な情緒のようなものを前面に出さない、純粋に音響的に構築した演奏でしょうか。
少し前の私なら「ただきれいに鳴らせば良いというものではないよ」と感じたかもしれません。
でも、最近の私は、こういう方向の音も結構好きになりました。
そしてよくよく聴いてみると、そのきれいなサウンドは表層的なものではなく、絶妙と言って良い味わい深いニュアンスが宿っています。

後半のショスタコーヴィチも、リャードフと方向性は同じでしょう。
ショスタコーヴィチだからといって、屈折しなくても良い。
不気味な恐怖心が感じられなくたって良いではないですか。
既に古典の仲間入りをした交響曲がそこにはありました。
咆哮するサウンドも、濁らずに高らかに響きます。
微弱音も神経質にならず、ただただ美しく鳴ります。
その純音響的な音は、無味乾燥でも、機械的でも、表面的でもなく、形容しがたい、魅惑的なニュアンス(語彙滑喝失礼!)。

スラットキンさんは、第1楽章の例の部分では、手を動かさずにソロを見守るだけの場面もありました。
もちろん全曲では、スマートに両手と棒を操り、駆使し、オケを導く場面の方が多かったですが、その力みのない流麗な動きは見ていて匠の技を感じるほど。
百戦錬磨の仕事師!といった感じです。

ふだんあまりN響を生で聴かない私ですが、こういう音を聴いてしまうと、やっぱりその底力は再認識せざるを得ません。
たとえ、会場に向かう時と会場から帰る時の、ホール周辺の喧騒にうんざりするにしても…。

なお、ATOKで変換すると「サンクトペテルブルク」と修正提案される「レニングラード」。
しかしショスタコーヴィチのおかげで、音楽の世界では今でも日常的に残る地名。
いずれ「レニングラードとは…」という解説が必要になるのかな?と思っていたら、フィルハーモニー誌に「若い世代のなかには、これが現在のサンクトペテルブルクの旧称であることを知らない人も、増えているかもしれない」とありました。
既にそうなのですか…。
ソ連崩壊からすでに約20年が経過しているのですね。

|

« インバル/都響(2012/9/20) | トップページ | ピノック/紀尾井シンフォニエッタ東京(2012/9/23) »

コメント

初めまして!
私もN響聴きに行きました。
自分のブログはこれから更新です。
Twitterフォローさせていただきました。

投稿: アリエッタ | 2012年9月22日 (土) 20時10分

アリエッタさま
目に止めていただき、ありがとうございます。
巨大なホール空間ではありますが、あの幸せな時間と空間を、数千人の聴衆の一人として共有出来たことを嬉しく思います。

投稿: 稲毛海岸 | 2012年9月22日 (土) 23時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214768/55719193

この記事へのトラックバック一覧です: スラットキン/N響(2012/9/22):

« インバル/都響(2012/9/20) | トップページ | ピノック/紀尾井シンフォニエッタ東京(2012/9/23) »