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2012年12月14日 (金)

尾高忠明/読響(2012/12/14)

2012年12月14日(金)19:00
サントリーホール

指揮:尾高忠明
読売日本交響楽団

(第521回定期演奏会)

マーラー:交響曲第9番

この曲がこの世への別れだとするならば、こんな幸福感に包まれた最期を迎えたいものです。
耽溺しない。
スカッと爽やか系の音響。
それでいて無味乾燥にならず、音に魂とニュアンスが宿る。
特に第4楽章の美しさは比類がありません。

尾高さんのマーラーって、前回はいつ聴いたでしょう?、私は。
前述のように、のめり込まず、のたうちまわらず、スカッと爽快。
純音楽風に音を積み重ねて構築した音響のようでありながら、その音のニュアンスは絶妙なくらいに魅惑的。
鳴らせば音が自然に語る円熟の境地。

前回、尾高さんが振った定期は、確か、ブルックナーの8番だったと思いますが、あの時は「素晴らしい、素晴らしいが…。尾高さんにはやっぱりエルガーウォルトンを振ってほしいんだよねー」という邪念が浮かんだことは事実です。
今回はそういう邪念は一切浮かびませんでした。

淡々と振っているようでいて音の表情は魅力いっぱい。
そして強奏になった時は、天に突き抜けるかのような壮大なる音響が響く。
その全く粗雑でない大音響のスケールの大きさは、ただただ立派。
そして頂点は、第3楽章かと思いきや、第4楽章でした。

第4楽章は分析的な態度での鑑賞などしていられない素晴らしい幸福感。
美しい、美しい、ひたすらに美しい。
人生を振り返りながら、こんな幸福感に包まれてこの世に別れを告げることが出来たら…。
この世への別れの曲なのかどうかはともかく。

全曲を通して聴いて、聴き終わった後に思ったのは、第4楽章がこの世への別れかどうかは横に置いて、第1、第2楽章の平穏さとハツラツさを打ち破るような第3楽章は、天が与えた試練、苦難のような…。
そして、その苦難を乗り越え、最後にたどり着いた第4楽章は安息の境地。

何事もあの大震災に結びつけるのは安直すぎるとは思いますが、私には第3楽章が、あの3.11の時の、首都圏ですら試練と苦難だった日々に感じてなりませんでした。
いまだに続くわが国の苦難の後には、悲しみではなく、この日の第4楽章のような、安息の世界が待っていてほしい。

聴けて幸せでした。

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コメント

すばらしい演奏だったと私も思いました。
尾高さんも、たしかカーテンコールで舞台を
行き来するとき涙ぐんでいたように見えました
何度か目頭を押さえていた(?)と思います。
それだけ曲に集中できたのかと感じます・・・

また、今日の演奏会は別のハプニングがありました。
私はLA席の前方にいて実は最終楽章の静かに静かに曲が流れている時上の方からかすかないびきが聞こえて来ていたので演奏に集中するのが大変でした。
いびきがこれ以上大きくならないよう祈っていました。 無事演奏終了し拍手が始まったと同時にいびきをしていた後ろに座っていた方がいびきの当事者の頭を殴って出て行ったのを目撃してしまいました。
 お互いに後味の悪い日になった事と思います。

投稿: 炎のタロー | 2012年12月15日 (土) 00時22分

炎のタローさま
LA席のいびきは、幸運にも私は全く気がつかずに聴けましたが、せっかくの素晴らしい演奏が怒りの思い出になってしまうことは本当に残念なことですね。
尾高さんが涙ぐんでいるのにも気がつきませんでしたが、それを伺い、改めて幸せな気持ちになれました。ありがとうございました。

投稿: 稲毛海岸 | 2012年12月15日 (土) 11時01分

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