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2014年3月の9件の記事

2014年3月30日 (日)

スダーン/東響(2014/3/30)

2014年3月30日(日)14:00
ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団

(川崎定期演奏会第44回)
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
(遅れて行ったため、第2楽章から鑑賞)
シューベルト:交響曲第2番
シューベルト:劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」第3幕間奏曲
(アンコール)

遅刻しました。
「皇帝」の第2楽章から、立ち見での鑑賞。
間に合わないことが確実になっても心に余裕を持ってホールに向かえたのは、後半開始には、ほぼ確実に間に合うはずだったから…。

カッチリとした前半、休憩後の愉しく心が踊るような躍動感。
そのお楽しみの後には、急逝したメンバーのための、哀しく、崇高で、美しさの献奏。
私も、涙がうるうる。
目からあふれ出なかったので、鼻水となってしまい、困りました。

「皇帝」は、やっぱりオーソドックスな印象。
平凡な演奏という意味ではなく…。
正攻法でクリアなピアノの音は、「反対側」の私の席よりも、2階の立ち見スペースの方が良かったりして。

後半のシューベルトは、自席での鑑賞。
想定通り、ミューザのステージに近い席の方が分解能が高いです。
サントリーの高い(←価格ではなく、高度が)席の、ふくよかにブレンドされた音の良さもなかなかの極上感ですが、細かい動きや仕掛けがわかるのはミューザの方。
(あくまでも、私の席での比較です。ホールのトータルでの比較ではありません。)

この日の私の席では、木管奏者の皆さんが、実は相当に気合を入れて表情付けをして吹いていらっしゃるのが眼前で認識出来ました。
それが、同様に濃厚に表情付けされた弦楽器の表情付けとブレンドされて…。
出てくる音楽はスピード感のある快速の演奏。
このスピードで濃厚な表情付けを徹底するには、名手揃いの東響と言えども、長年のスダーン監督の訓練の賜物なのでしょう。
心躍る演奏とは、この演奏のこと。
スダーン監督の快速演奏、決してあっさり疾走する音楽ではありません。

この日の私の席では、最後の最後に、スダーン監督がうなり声を上げるのがはっきり聞こえました。
(数年前の前回の演奏のCD音源でも聞こえますが。)。
スダーン監督の動作が全て音に変換される愉しさ。
一朝一夕で出来るものではない、あうんの呼吸。

「ロザムンデ」間奏曲の献奏前のスピーチは、ミューザの音響でも(その前に、私の英語力の問題の方が大きいですが)ほとんど聞き取れませんでした。
前日のサントリーホールの方がまだ聞き取れたくらい。
終演後、客席で「最後だからスピーチしたんじゃない?」とか話している方もいたりして…。

献奏となった「ロザムンデ」間奏曲の比類のない美しさ。
何度も同じ言葉で恐縮ですが、美しく、哀しく、美しく、崇高。
出番のない奏者の方が下を向いている姿が、オケの悲しみを物語る。
スダーン監督の10年は、幸福な10年でしたが、苦難の10年でもありました。
最後の最後まで。

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2014年3月29日 (土)

スダーン/東響(2014/3/29)

2014年3月29日(土)18:00
サントリーホール

指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団

(第618回定期演奏会)
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
シューベルト:交響曲第2番
シューベルト:劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」第3幕間奏曲
(アンコール)

スダーン監督との「ありふれた日常」が、いかに素晴らしい日々だったかを思い知らされる演奏。
アンコールの「ロザムンデ」間奏曲は献奏。
比類のない美しさ。
会場からは鼻をすする音も…。

「皇帝」は、聴き手の一聴衆の私が、勝手にスダーン監督とのの10年間に思いを馳せて、いろいろなことを思い出してしまいました。
雑念が次々と湧き、音楽に集中出来なかった前半。
(すみません、完全に、個人的感情です。)
それでも、ピアノの高度にコントロールされたクリアな音の美しさは十分に認識しました。

対向配置ではありませんが、ティンパニは例によってバロック・ティンパニ。
あまり尖ってはいません。
いや、単に、私の耳が慣れただけなのかな?
小編成で重苦しくない演奏は、21世紀のベートーヴェン。
スダーン監督と東響は、いつものようにあうんの呼吸。
当たり前のように…。
でも、これを当たり前のように出来るのは、積み重ねがあってのもの。

シューベルトの交響曲第2番は待ちに待った再演ですが、前回、実演で聴いた演奏をあまり覚えていない自分に気づきました。
会場でで聴いたのですが、その後発売されたCD音源を聴き過ぎて耳タコ。
実演の記憶をCD音源の記憶が上書きしてしまっていました。
前回は、実演でも、繰り返し、なかったですよね?

前回はスリリングに感じ、ワクワク興奮した演奏が、今回は予定調和のように感じる自分にちょっと驚きます。
スダーン監督と東響の演奏は、すでに日常。
こういう、高度に調和した演奏が日常的に出来るようにようになっているこのコンビ。
決して東響のメンバーがルーティーンな通り一遍の演奏をしているわけではありません。
スダーン監督の小刻みな手の動きに一糸乱れず、ダイナミックに反応する様は(音楽の方向性は違いますが)インバルさんと都響のコンビに通じるものがあるかもしれません。

個人的な感傷で雑念が生じた前半と違って、後半は存分に堪能しました。
「ああ、終わってしまう…」などと考えることもなく、音楽に身を任せる。
一糸乱れずにスダーン監督の楽器となる東響の鉄壁のアンサンブルの見事さ!
…感無量です。

全体のアンサンブルだけでなく、弦楽器のトップ奏者と木管首席陣のアンサンブルにスケール・ダウンした時も、スダーン/東響のサウンドが鳴る。
バロック・ティンパニが突出せず、暴力的殴打にもならず、控えめに絶妙のスパイスとなっている。
そう言えば、スダーン監督って、カーテンコールで、ティンパニの奥田さんを起立させたことって、ほとんどなかったような気も…。
今宵も然り。
スダーン監督と東響のピリオド系サウンドを支えた重要人物のような気もしますけど…。
アンコールの献奏、「ロザムンデ」間奏曲は、崇高で、美しくて、哀しく、…。
今回は事前に事情を存じ上げていたので、さすがの私でもスダーン監督のスピーチの内容は察しがつきましたが、私の英語力と、席の位置と、その音響では、断片的にしか聞き取れませんでした。
「亡くなった」「ヤング・ボーイ」などなど。

前回の献奏の時は事前に存じ上げず、ただ、食後のデザート、極上のデザートと思ってしまったのですが、今回の献奏も、デザートという言葉は不適切でも、極上の音楽と感じたことは事実。
美しく、哀しく、美しい演奏。

それにしてもスダーン監督、再びアンコールで献奏をすることになるとは…。

これ以上ない相性の幸せなコンビにもかかわらず、外的要因で決して順風満帆ではなかった10年間。
いや、本当の一区切りは、夏ですかね。
確か、就任披露の第九も、秋でしたよね?

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2014年3月23日 (日)

クリスチャン・ヤルヴィ/読響(2014/3/23)

2014年3月23日(日)14:00
横浜みなとみらいホール

指揮:クリスチャン・ヤルヴィ
読売日本交響楽団

(第70回みなとみらいホリデー名曲シリーズ)
ヴァイオリン:パク・ヘユン

ジーン・プリッツカー:「クラウド・アトラス」交響曲から(日本初演)
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ四重奏曲第1番
(管弦楽版)

オケの音が綺麗に整えられていて爽快!
深みや重厚さ、あるいは複雑さはあまり感じませんでしたが、そもそも、そういう方向は意図していないのでしょう。

前半は爽快サウンドに寝入ってしまったのでノーコメントとさせていただきます。
そう、寝てしまったのです。
もったいない。
もっとも、前日の東響の演奏会へ向かう電車の中でも寝てしまったので(おかげで前日は演奏中は目がぱっちり)、疲れているのかな。

時間にして9割くらいは意識がもうろうとしていたと思います。
その1割の印象で語るなら(ノーコメントと言ったのに)、後半も含めて、音楽の方向性は一貫していたと思います。

後半はちゃんと覚醒していました。
音の整い具合、美しさは文句なし。
よくぞここまで、美音に整えたと思います。

しかし、…。

いや、言うだけ野暮でしょう。

しかし、…。

なんとなく表面的な気がしないでもないんですよね…。

いや、そんなことは考えずに、サウンドを楽しむべき演奏なんでしょう。
私も、ちょっとひっかかりを感じながらも、意外と素直に楽しみました。

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2014年3月22日 (土)

スダーン/東響(2014/3/22)

2014年3月22日(土)14:00
東京オペラシティコンサートホール

指揮:ユベール・スダーン
東京交響楽団

(東京オペラシティシリーズ第78回)
フォルテピアノ:ピート・クイケン

ハイドン:交響曲第1番
ハイドン:ピアノ協奏曲Hob.XVIII:5
ハイドン:ピアノ協奏曲Hob.XVIII:11
ハイドン:アダージョ ヘ長調
(アンコール)
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

ひとつめの集大成、極まれり!
「クイケン」ブランドの珠玉の宝石を散りばめた前半、圧倒的円熟の極みのロンドン交響曲!
ハイドンの作品の進化を、たった一回の演奏会でたどったような選曲の妙味。
あのハイドン・ツィクルスを、スダーン監督の10年を、ここに完成させたと言いたくなる、これ以上望めないハイドン演奏。
もう一つの完成系は一週間後…のはずです。

まずは、ピート・クイケンさん。
交響曲第1番から、さりげなく楽員の一人として出てきて通奏低音を弾く。
続くピアノ協奏曲Hob.XVIII:5は、ソリストとして登場し、合奏競争曲風な(?)演奏。
そして、ピアノ協奏曲Hob.XVIII:11では、協奏曲の形(?)でのソリスト。
さrには、アンコールにソロ。
「クイケン」ブランドはやはり本物!
自己主張がないかのように淡々と、これだけチャーミングな音で奏でられては、もうポカーンと聴き入る以外にありません。
通奏低音から協奏曲2曲、アンコールと、徐々に全貌をあらわす名人芸!

休憩後の交響曲第104番「ロンドン」は、やりたいことをやりまくっているのに、わざとらしさが全く無く、部分だけが突出せず、オケ全体の音の集合体としての構築が見事に出来ています。
あうんの呼吸で、スダーン監督の腕の動きがオケの音に変換される様は、見事、見事。

休憩はピート・クイケンさんの出番はなく、1階席の中央通路の真後ろの席で、ジーンズ姿に着替えたピート・クイケンが聴いていたように見えましたが、遠目だったので自信なし。
別人だったらご容赦を。

スダーン監督の演奏の思い出はいろいろありますし、マーラー版のシューマンとかも良かったですが、一番ワクワクして聴いたのは、やはりハイドン・ツィクルスとシューベルト・ツィクルスの2年。
この2つを最後に持ってきたのには「やっぱりね」と思いました。
(後出しじゃんけんみたいな物言いで恐縮ですが。)
特に、ハイドン・ツィクルスの1年は、なにせハイドンは曲が多いもので、素晴らしい演奏を聴けば聴くほど、もっとハイドンを散りばめても良かったのでは?という贅沢な欲求不満も感じる年でした。
その後、続編のようなオール・ハイドン・プログラムを、今回を入れて2回(かな?)組んでいただけたのは、本当に嬉しかったです。

昨日の「死の都」のピットと、どれくらいの奏者が続けての本番だったのでしょう?
…と心配するのは門外漢の聴衆だけであって、東響の皆さんにとっては、これくらい日常茶飯事ですかね。
前回のオペラシティでのオール・ハイドン・プログラムの時は、前日の夜に「マクベス夫人」のピットだったような記憶もあります。

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2014年3月21日 (金)

新国立「死の都」(2014/3/21)

2014年3月21日(金・祝)
新国立劇場

コルンゴルト:死の都
フィンランド国立歌劇場からのプロダクション・レンタル上演

「ルサルカ」…じゃなくて「死の都」。
夢からさめるあたりは、なんとなく既知感が…。
「ばらの騎士」…じゃなくて「死の都」。
さんざん大騒ぎした後、最後、一抹の寂しさを感じさせながら、しっとりと終わるのは、どことなく既知感が…。

いや、作品そのものは、別に部分的に既知感があっても、価値が揺らぐものでは無いでしょう。

ただ、演出は、私の感性とは、ちょっと食い違う…と言うより、私の理解力を超えているものがございまして…。

演出で、どんどん引いていってしまったのですだが、ピットのオケと歌手はどんとんボルテージアップしてワクワク感いっぱい。
視覚でひいていくのに聴覚で引き込まれるという精神分裂状態の鑑賞となりました。

初日の評がピットのオケをあまり良く書いていなかったので多少危惧したのですが、この日は回を重ねているせいか、私としては文句なしのドラマティックサウンド。
まあ、この日の東響に限らず、東フィルでも、たいてい(?)新国立のピットは、初日よりも後の方の上演の方がピットは良くなって行くような気もします。

開演前にプログラム冊子の演出ノートを読んで、女優を登場させて“彼にしか見えていない人”を演じさせるというアイデアは面白いかも…と期待したのですが…。
その効果や意図は、私の理解力を超えていたようで、少なからぬ取り残され感あり。
(もっとも、個人的には、いろいろあって眠い体調だったのですけど…。)

同じく演出ノートによれば、第2幕でベッドから次々に人が出てくるのは、聖域を踏みにじられることを意図しているそうですが、私の頭脳では、そうは見えず、ただごちゃごちゃしている印象。

歌手に関しては、いや、オケ同様、尻上がりにヒートアップし、音楽としては圧倒的な高揚感。
…ということは、私の席からは見えませんでしたが、指揮者が煽り気味に導いた高揚感なのかな?

演出にひきながらも、間口が新国立のサイズに合わなかったのかな?というような、舞台装置と黒い幕に微妙な違和感を感じながらも、最後の、ベッドに横たわっている亡骸は、結構琴線に触れるものがあったりして、もう一回観れば演出の印象が変わるかもしれませんが、残念ながら、今回の残す1公演は鑑賞予定はありません。
レンタルプロダクションということは、新国立での何シーズンか後の再演も無いのでしょうかね。

そうそう、新国立の4階席からでは少し遠くてわかりずらかったのでは?と思ったりもします。
私は、レンタル元の歌劇場のキャパは存じ上げませんが。

スタッフ
【指揮】ヤロスラフ・キズリング
【演出】カスパー・ホルテン
【美術】エス・デヴリン
【衣裳】カトリーナ・リンゼイ
【照明】ヴォルフガング・ゲッベル

キャスト
【パウル】トルステン・ケール
【マリエッタ/マリー】ミーガン・ミラー
【フランク/フリッツ】アントン・ケレミチェフ
【ブリギッタ】山下牧子
【ガストン/ヴィクトリン】小原啓楼
【ユリエッテ】平井香織
【アルバート伯爵】糸賀修平
【リュシエンヌ】小野美咲

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

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2014年3月17日 (月)

インバル/都響(2014/3/17)

2014年3月17日(月)19:00
サントリーホール

指揮:エリアフ・インバル
東京都交響楽団

(第766回定期演奏会Bシリーズ)

マーラー:交響曲第9番

前半2楽章はオケも指揮者も微妙に力みがあったような気がしないでもありません。
しかし、後半2楽章の「音」を聴いてしまうと、もう何も言えません。
(言ってますが…)
客席で悶絶寸前、窒息寸前。
今にも自分が声をあげてしまいそうで怖かったくらいです。
稀有の体験に感謝、感謝です!

第1楽章は比較的鋭く強い音で始まったような気がしたのは私だけでしょうか?
インバルさんと都響と言うと、指揮者が鬼の形相をし、奏者が皆、渾身の力演をしていても、極上の音がフワッと(と言ったら言い過ぎかな?)立ち上がるイメージもあるのですが…。

もちろん、ひとつひとつの音が強めの演奏には、強い意思と、並々ならぬテンションを感じ、文句を言う筋合いのものでも、そんな低レベルの演奏でも決してありません。
任期最後、集大成の演奏、それなりの気負いがあって当然。
いや、私の気のせいかもしれないですし、私の座った席の音響だけの問題かもしれません。

そんな“思い”を感じながらの鑑賞でも、それでも、稀有の体験!と言って良い演奏。
一瞬たりとも耳と目と気を、舞台から離せません。

第2楽章の終盤で、おっ、音が溶け合ってきた!と感じたのは私だけでしょうか?
そして、“水入り”でインバルさんが一時、舞台袖に退場し、オケがチューニングをした後の第3楽章以降が、もう呆気にとられる以外ない素晴らしさ。
これを極上の音と言わずして、何を極上の音と言うのでしょう。

…。

…。

第3楽章以降は、客席で受け止めるのが精一杯。
聴いている時の私の表情は、人様にはお見せ出来るものではございません。
涙が出そうで、でも、出す余裕すらなくて…。
身悶えたいけど、動いて雑音出すわけにはいかないB定期の静粛…。

第3楽章の最後でインバルさんが巻きを入れようが、都響の溶け合った音は一切乱れず。

第4楽章を、悶絶しながら、窒息寸前、息も絶え絶えに聴いていた私。
ああ、終わってしまう…なんて考える余裕すらありませんでした。

終演後の山本コンマスからの花束贈呈。
受け取ったインバルさんが、一本ずつ引き抜いて女性奏者への贈呈。

ソロカーテンコール3回(うち1回は山本コンマスと)。
ステージマネージャーが、ステージ上で後片付けをしている団員が引き上げ終わるのを待たせなければ、インバルさんのソロカーテンコールは3回で終わらず、4回になったかも?という会場の熱狂。

立ち会えたことを感謝するしかない、稀有の体験。
終わり良ければすべて良し。

以下、蛇足です。

聴いている時は夢中でしたけど、それでも瞬間、瞬間、色々な雑念が浮かびました。
すでにインバルさん治世下のようだったデプリーストさん最終シーズンのインバルさんののマーラー。
あまりに来演回数が少なくて唖然とした初年度。
次のシーズンに一気に来演回数が増えて、チケット入手が困難に…。

インバルさんの就任が決まった頃の週刊誌の記事。
「せっかく、のだめで有名になったデプリーストさんをクビにして、“過去の人”インバルさんをシェフにする都響」を批判する記事。
いかにも一般の週刊誌らしい論点。
結果がどうなったかは、“歴史”が物語る。

思い起こせば○十年前。私が高校生の頃。
初めて都響を聴いたのは、当時の常任、アツモンさんと都響のマーラーの9番。
ハガキを出して当選し、招待券をいただき、東京文化会館の2階正面に座らせていただきました。
コンマスは確か、小林健次さん。
あの日、この日の都響のステージを予想できるはずもありません。
若い首席奏者は、まだ生まれていなかった?

家庭の事情でチケットをずいぶん無駄にしましたけど、インバルさんと都響の、今回のマーラー・ツィクルスだけは、各曲1回ずつ聴けました。
偶然です。
偶然に感謝するしかありません。

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2014年3月15日 (土)

準・メルクル/新日本フィル(2014/3/15)

2014年3月15日(土)14:00
すみだトリフォニーホール

指揮:準・メルクル
新日本フィルハーモニー交響楽団

(第522回定期演奏会)

シューマン:『ゲーテの「ファウスト」のための情景』 序曲
シェーンベルク:浄められた夜
(弦楽合奏版)
ベートーヴェン:交響曲第7番

準・メルクルさんの“名前”からして、それなりに期待はしてはいましたが、これほどエキサイティングな演奏になるとは!
棒の切れ味良し、もともとシャープな音の傾向のNJPの、棒に対する反応良し。
これだけオケが棒に俊敏に反応すれば、指揮者も楽しいのではないでしょうか。
いや、オケの方だって、きっと楽しかったはず。
NJPとメルクルさんの相性、かなり良いのではないでしょうか。
NJPが3.11以降の少々ちぐはぐだった時期は、すでに脱して久しいですが、それにしてもこの快演、幸せ!幸せ!

冒頭のシューマンの序曲から、弾むような躍動感がホール空間にとどろく。
メルクルさんの俊敏な動作が、そのままロスなく、NJPの音に変換される。
音の立ち上がり、休止、全てがシャープ!
そうそう、NJPの音って、元々シャープな傾向ですよね。

浄められた夜の弦楽合奏版は、編成を客席寄りに寄せての演奏。
私は最近、弦楽合奏版を生で聴いた記憶がありませんが、各パートの動きがくっきりと聴こえて好印象。
NJPの音の質がプラスに出た(こういう曲なのに)スリリングな体感です。

休憩後のベートーヴェンは、編成をオルガン寄りに寄せた配置。
前半の曲目から躍動感を満喫していましたが、躍動感と言えばやはりこの曲。
定期演奏会のステージに乗せるからにはそれなりに良い演奏を期待していましたが、その期待をはるかに凌駕する、興奮ものの快演!

比較するのがナンセンスかもしれませんが、以前聴いたNJPの、定期でない(トリフォニーホール主催の)演奏会での7番とは、同じオケ、同じ会場、同じ曲とは思えません。
いや、もちろん、演奏会通いの楽しみって、そういうものではありまするが…。

NJPの木管首席は、元々、名手ぞろい。
それが気合いを入れて吹きまくり、アンサンブルも緊密となれば、オケの音が突き抜けるようにホール空間に響くのは自明の理。
古部さん、第4楽章途中で汗を拭いていました。

私はN響でのメルクルさんは、放送も含めてあまり聴いていないので、そちらについては述べる資格はありませんが、少なくともNJPは、メルクルさんの意図した音をかなりのレベルで実現していたのではないでしょうか。
今回は1公演しか聴けなかったですけど、1公演だけでも聴けて良かったです。

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2014年3月14日 (金)

ラザレフ/日フィル(2014/03/14)

2014年3月14日(金)19:00
サントリーホール

指揮:アレクサンドル・ラザレフ
日本フィルハーモニー交響楽団

(第658回東京定期演奏会)
ピアノ:浜野与志男

【ラザレフが刻むロシアの魂《Season2スクリャービン2》】
スクリャービン:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

剛腕と柔和?
ラザレフさんって、こんなに豊かなニュアンスも出すんでしたっけ?
第1楽章はちょっと飽和感もあったが、終楽章は文句無しのスケール感でした!

しばらく鑑賞ブランクがあったのと、席の位置を変えたので、断言は出来ませんが、日フィルの音、(エキストラが多く入ったせいだけではなく、前半のスクリャービンも)、音がグレードアップしてません?
ラザレフさんの時も、こんな、微弱な美音を出すようになったんですねー。
満喫、満喫でした。

まずは、スクリャービン。
一瞬、席が変わって音響が変わったせいかと思いましたが、豊かな音のニュアンスに少なからず驚きます。
出だしだけ、ほんの一瞬だけ、オケの出す音が手探り状態っぽくなったような気もしましたが、流れ出せば文句無しの極上感。
…と言うか、ラザレフさんには最も似つかわしくない言葉(?)のチャーミングさ…。
まあ、曲が曲ですから…ではありませんでした。
後半もそうでした。

ショスタコーヴィチの「レニングラード」は、舞台狭しと、奏者ぎっしり。
鬱屈した陰惨なイメージはあまり感じず、明るくポジティブなショスタコーヴィチ。
美しく、高らか。

ラザレフさん=剛腕、インキネンさん=繊細、と、単純にレッテルを貼っていた自分を深く反省させられる、美しいニュアンスのオケの音。
ラザレフさんが日フィルに求めていた音は、実はこういう音だったんですねー。

それにしても、日フィルの、木管首席の女性お二人、以前よりも音がグレードアップしてません?
お顔を拝見する限りは同一人物ですが。
いや、オケ全体が、ラザレフさんの剛腕の指揮の動作に、力まずにスムーズな音が出せるようになったのかな?
以前だったら引きずり回されるようにして演奏「させられていた」が、ラザレフさんのキュー出しまくりの指揮を受け止めて、音楽的に自然で、自発的に、しかもまとまって演奏できるようになったとか。

第1楽章だけは、あ、早めに音をMaxにし過ぎたのでは?の感も多少感じましたが、終楽章の音の構築は文句無しだったので、2日目の演奏では変わるかもしれません。
これだけ美しい微弱音の連続を聴けたのも嬉しい限り。

私にとっては、確か、前年の9月以来の日フィル定期、ラザレフさんは6月以来かな?
ブランクがあったのに、偉そーに、比較感想を述べたりして、すみません。
久しぶりでハイテンションになって、はしゃぎ過ぎて、失礼いたしました。

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2014年3月 8日 (土)

インバル/都響(2014/3/8)

2014年3月8日(土)14:00
東京芸術劇場

指揮:エリアフ・インバル
東京都交響楽団

「作曲家の肖像」シリーズVol.96《マーラー》
ソプラノ:澤畑恵美、大隅智佳子、森麻季
メゾソプラノ:竹本節子、中島郁子
テノール:福井敬
バリトン:河野克典
バス:久保和範
合唱:晋友会合唱団
児童合唱:東京少年少女合唱隊

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

多彩、多様、巨大、複雑怪奇なはずのこの曲を、継ぎ目を全く感じさせず、鏡面仕上げに磨き上げた演奏。
フルパワーから諦観、しっとりから爆発。
いずれの変化も、なめらかに、ふわっと、しかし瞬時に!
生演奏で、芸劇のモダンオルガンが入って、バンダが入っても、全強奏になろうが、バランスの取れたサウンド。
入念にミキシングされた、加工された音のよう(←肯定的な意味で)。
恐れ入りましたと言うしかありません。

1ヶ月以上の鑑賞ブランクがあったので、私の耳は、鈍っているかもしれませんが…。

そもそも、この大曲を演奏するというのに、舞台上の面々は「いつもの都響主催公演、作曲家の肖像シリーズでございます」のような自然体。
気負い無し。
聴衆の聴いていないところでどんなに努力や苦労をしようが、そんなそぶりは微塵も感じさせない。まさにプロの演奏家集団。

インバル様も、気負いなく、平然と登場し、ひょいっと腕を振ると、たちまち巨大な音がとどろく。
合唱が主役の箇所が続いて、急に合唱が休止してオケだけになっても、音が小さくなった印象はなく、継ぎ目なくオケが主役となって音楽は続く。

福井敬さん(←いま、歌手として最高の年代でしょうか?)が、めいっぱい声を張り上げて歌った直後、ハープ、弦と受け継がれ、しっとりとオケが歌う場面の連続性。

まあ、7番ですらグロテスクをあまり感じさせない演奏をしたインバル様&都響だから、これくらいの音作りは当然?

就任披露の時の演奏を細かく覚えているわけではありませんが、あの時は剛腕で引きずり回した感も(今となっては)あったかもしれません。
インバル様も、鬼のような形相も見せていたような記憶があります。
それに比べて、この日の、自然体で力みを感じさせないのに(インバル様だけでなく都響の皆さんも)、とてつもない音が鳴り、高揚する。

ある時期の「週刊インバル様々」状態の共演連続も経て、インバル様と都響のコンビがたどり着いた高み、到達点と言って良いのでしょうか。
いや、まだ通過点なのかもしれませんが…。
恐れ入りました。

個人的にかなり久しぶりの生演奏鑑賞だったので、舞い上がってすみません。

私事ですが、2月下旬に父の一周忌法要を行い、ようやく諸々のことが(全てではありませんが)一段落しつつあります。
法要終了後は1年間の疲れがドッと出て、一週間以上、放心状態でした。
数日前からようやく体調が回復し、世間一般のことに身が入るようになった今日この頃です。
この日も体調は悪くありませんでしたが、久しぶりの演奏会に、凄い演奏で興奮し、帰路では少々疲労感を感じました。
この後、どの程度のペースになるかわかりませんが、無理せずにいきたいと思います。

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