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2015年6月の4件の記事

2015年6月21日 (日)

秋山和慶/新日フィル(2015/06/21)

2015年6月21日(日)15:00
パルテノン多摩

指揮:秋山和慶
新日本フィルハーモニー交響楽団

(多摩定期 第91回)

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(ピアノ:三輪郁)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

前半の「ペトルーシュカ」の途中でスイッチが入っちゃった後のNJPなので、冒頭から妖艶な雰囲気満載の、良い意味で“気色悪い”。
パルテノン神殿?は異教徒の乱舞、狂乱の騒ぎの場に…。
こうなると、前日の演奏も聴いて比較してみたかった…となりますが後の祭り…いや、祭典。

前半の「火の鳥」と「ペトルーシュカ」は、既にトリフォニー定期で2日演奏しているのに、2曲とも冒頭、オケが微妙に手探りで始まり、あれれ?大丈夫?と。
(いや、惨いほどのことはなくて、かなり微妙なレベルなのですが。)
しかし、音楽が動き出すとオケの音も噛み合い…。
そして「ペトルーシュカ」では、「合わせる」レベルを超越した高揚へ変貌。
おそらく秋山さんの棒を見ているうちに、オケの皆さん、マインドコントロールされてしまったのでは?

秋山さんが東響以外のオケを振ると比較的音がカチッとシャープ目に出るような気がします。
この日も最初はその傾向があったものの(もともとシャープ目のサウンドのNJPですし)、曲が進むにつれて微妙な弾力性(と言ってもストラヴィンスキーだから程度問題ですが)も醸し出されて、キツすぎない絶妙のサウンドに。

こうなると、「春の祭典」は冒頭から異様な高揚感で始まり、あとは狂喜乱舞。
前半の最初のうちのNJPのメンバーの目は「棒に食らいつこう」という目線でしたが、スイッチが入っちゃった後は、そんな恣意的な視線は影を潜め、指揮者と譜面を遠目に見ながら身体が瞬発的に動く様態に。

秋山さんの「春の祭典」を前回聴いたのは、まだ東響の音楽監督の頃だったと記憶しています。
さすがに(少なくとも10年以上前ですので)どんな演奏だったかは覚えていません。
でも、この日の「気色悪さ」を強く醸し出した演奏は物凄く新鮮に感じました。
…ということは、あの時はどうだったのでしょう?

気色悪い「春の祭典」と言えば、近年ではウルバンスキ/東響がかなりのもので、でも、案外、曲の本質を突いているのでは?とも思いました。
この日の秋山さんが火を付けたNJPの演奏もしかり。
秋山さん、カチッとまとめるだけの指揮者ではありません。
棒のテクニックは「手段」であって「目的」ではありません。
そして、世の中全般の「春の祭典」の演奏自体も、21世紀に入って変わってきているのかな…と思ったり。

私は今季のNJPは、比較的“欠席率”低めで通っている方だと思いますが(この日は多摩定期だったので一回券ですが)、かなりの上位に位置する演奏と言って良いでしょう。
自然体でここまで音が調和した上で高揚すれば文句なし。

なお秋山さんも、新日本フィルも、私は比較的多く聴いている方だと思いますが、秋山さんが新日本フィルを振っている光景は非常に新鮮でした。

20150621

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2015年6月 6日 (土)

ノット/東響(2015/06/06)

2015年06月06日(土)18:00
サントリーホール

指揮:ジョナサン・ノット
東京交響楽団

(第631回定期演奏会)

R. シュトラウス:メタモルフォーゼン(変容)
ブルックナー:交響曲第7番

このコンビ、どこまで行くのでしょう?
「こういう指揮者だ」などとレッテルを貼れません。
毎回毎回違う、変化する、進化する。

まずはメタモルフォーゼン。
弦楽器だけの小編成で「ブルックナーの第7番の前に演奏するのにふさわしい曲ですな」などと不遜な態度で聴いていたら、そんなことは言ってられなくなりました。
弦楽器だけとは思えない圧倒的な音響。
単なる弦楽合奏ではなく「23の独奏弦楽器のための」なのですが、多層的でありながら均質的であるという稀有の体験。

本当に凝縮された時間。
いや、あの時間帯、サントリーホールの中の空間だけ時間がゆっくりと流れたのではないかとすら思いました。
あれよ、あれよ…と、繰り出される音を受け止めるのみ。
この一曲だけで「はい、本日はこれで終わりです」と言われても、喜んで帰ったことでしょう。

しかし、後半にも希有の体験が待っていました。

ブルックナーは透明感のある音、微細なニュアンス、均質性のハーモニー。
それが微弱音だけでなく、最強奏ですら維持されるノット・マジック!
いやそれを現実の音に変換してみせた東響メンバーも賞賛せねば!
この微細なニュアンスのオケの音を聴いて、ブルックナーの要素ってドビュッシーにも受け継がれているのでは?と何度も思いました(管弦楽のための映像とか)。

重量感のあるブルックナーもいいけれど、7番に関してはこういうアプローチが実は的を射ているのでは?とすら思いました(新国立劇場のオペラの監督の大ファンのくせに…というツッコミは甘んじて受けるとして)。

個人的には東響の定期会員を一番長く継続しているので、東響の監督人事、長期政権体制があまりにもうまくいきすぎているのに感無量です。
秋山さんの退任時は定期会員をやめようかと思ったくらいですし(結果、やめなくて大正解)、ポスト・スダーンはどうなるのか?と心配した時期もありました。

東響定期、来月7月もノット監督、その次9月もノット監督、10月がウルバンスキさんで、11月がノット監督…って。

ノット監督はもちろん素晴らしい。
しかし、過密スケジュールでもあの演奏レベルを維持向上される楽団員の皆様、そして、ノット監督にオファーを出せる予算を確保した裏方の皆様、スポンサー企業に感謝を忘れてはならないと思います。
日経電子版によれば、NJPのシェフ退任は予算の制約もあったとか。)

なお、ネット上ではフライング気味の拍手に非難の声がそれなりに上がっています。
私も「あと1秒か2秒、待てなかったかなぁ」とは思いました。
しかし、これでも『東響定期にしては』演奏終了後の静寂を保った方だと思います。
(昨シーズンは結構サボったので、偉そうなことは言えませんが。)
まだまだ、読響定期や都響B定期の演奏終了後の余韻が、デファクトスタンダードにはなっていませんねぇ、東京の音楽シーン。

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2015年6月 5日 (金)

テミルカーノフ/読響(2015/06/05)

2015年6月5日(金)19:00
サントリーホール

指揮:ユーリ・テミルカーノフ
読売日本交響楽団

(第549回定期演奏会)
メゾ・ソプラノ:小山由美
女声合唱:新国立劇場合唱団
少年合唱:NHK東京児童合唱団

マーラー:交響曲第3番

次週、仕事でいろいろあるので、本来は、遊んでないで居残り仕事をしろ!…なのですが、次週いろいろあるからこそ(←この週2回目)、この週のうちに…と考えて、赤坂二丁目へ(?)。
そして、まずトイレへ。

長大な交響曲、特に第2、第3、そして終楽章が忘我の境地。
まるでエルガーを聴いているかのような上品な芳しい音です。
決して迫力不足どころが、物凄い大音圧も鳴るのですが。

読響のアンサンブルは徹頭徹尾完璧ではなかったにせよ、すなわち、まだ磨き上げの余地を感じる箇所があったにせよ、この熱演(爆演ではありません!)に文句を言ったら叱られます。
いいものを聴かせていただきました。
演奏が終って指揮者が最初に引っ込んだ時のオケのメンバーの皆さんの弾けっぷりは、先日のみなとみらいとは比較にならないほどです。

起、承転、承転、承転、…(延々)…、承転、結…を、全く飽きることなく堪能しました。
「これは興奮すると言うよりは、味わう演奏だよな」などと不遜に思っていると(それでも涙が出るほど素晴らしいのですが)、ぐわっと音圧が襲って来る。

第1楽章が終わったところで、チューニングが入りましたが、それが終わって、会場の咳払いも消え、静寂になってからも、汗を拭きながらかなり長く間合いをとったテミルカーノフさん。
その後に始まった第2楽章が、さらに見違えるように素晴らしく…。

音大生の皆様には素人の分際で申し訳ないですが、やっぱりプロの合唱は違いますね…と言いたいところですが、児童合唱も素晴らしいのなんの。
児童合唱と女声合唱の織りなす美しさは比類なし。

テミルカーノフ・ハンド・マジック、あの怪しい手つきは本当に凄い。
最終楽章の全休止で音が止まる瞬間、ほんの一瞬のことですが、ブチっと切れず、かといって間伸びせず、絶妙の休止への入り方、それを導いた一瞬の手のひらの動き。
休止で驚いたのは初めてかもしれません。

演奏中はいろいろありました。

第1楽章でシンバル?の落下??

客席では、合唱が入場を始めたら席を立ち、帰ったのかと思ったら戻って来た方(トイレへ行かれたのですかね?)がいらして…。
次の楽章の開始直後に扉が閉まる音がしたのは、それのようです。

最終楽章、最前列で、すごい勢いで扇子で顔を扇いでいた方が気になったのは私だけ?
(注:良く話題になる最前列常連のあの方ではありません。)
マエストロの耳に音が聞こえるんじゃないかと心配すらしました。

飴の包み紙の音も、結構離れたところから私の席まで届いてきました。

それでも、フライングの拍手無し。
余韻が十分に消え、無音になってからの拍手。
終わりよければ全て良し。

ちなみにこの日の私は、エコノミークラス使用不可により、ビジネスクラスへアップグレードしていただいた席。
座席移動の時、いつも良い場所の席をいただけるとは限らないのですが、この日の席は視覚も音響も最高でした。
(宮様がお座りになるエリアの反対側の方です。)
この日の席の会員券が欲しくなりました。

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2015年6月 3日 (水)

飯守泰次郎/都響(2015/06/03)

2015年6月3日(水)19:00
東京文化会館

「響の森」Vol.36

指揮:飯守泰次郎
東京都交響楽団

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~「前奏曲と愛の死」
ブラームス:交響曲第4番

次週、仕事でいろいろあるので、本来は、遊んでないで居残り仕事をしろ!…なのですが、次週いろいろあるからこそ、体力を温存する必要がある…と考えて、上野へ(?)。

「タンホイザー」の冒頭の金管が鳴ったとたん、ああ、来て良かった、と。
艶やかな弦の音が鳴って、ますます、ああ、来て良かった、と。

デッドな音響の東京文化会館で聴いていることを忘れさせる豊かな音。
たっぷり、たっぷり、艶やか。
マエストロの重量感のある音も、重過ぎずに中庸、でも重音寄り。
さすがは都響、久しぶりのマエストロのあの棒にも一糸乱れず。

休憩後のブラームスでは、時折混じる枯淡の境地をぶっ飛ばすような激情の嵐、嵐、嵐。
「あ、今の所、もう一回、見たい」と、ビデオだったら巻き戻したくなる場面多数。
ひねり、煽り、えぐり、ひねり。
猛獣が威嚇するような。
太筆で豪快に書いたような演奏で、精緻という言葉の反対側にあるような演奏。
そういう方向の演奏としては最高です。

都響を聴いていつも感じるのは、排気量の大きな車のような安定感。
アクセルを思いっきり踏み込んでも、急ハンドルを切っても、スーッと加速し、くぃっっと曲がってしまう安定感。
他の指揮者でもそうですが、飯守さんの「あわわわわっ」というような指揮に余裕で対応して艶やかな轟音を出す様は快感、東京文化快感(つまらなくてすみません)。

かつてはCDも出していたこのコンビ、いつ以来なのでしょう?
私が前回聴いたのは2007年頃の作曲家の肖像だったと思います。
思い起こせば、私が飯守泰次郎さんにハマった最初の演奏会でした。
当時は東京シティ・フィルとのベーレンライター版によるベートーヴェン全集のCDがあったので、ピリオド・アプローチなの?と思っていましたが、全然違いました。
版が何であろうと、飯守泰次郎さんの音になってしまうことも、後に知りました。

閑話休題。

飯守泰次郎さんが振る在京オケ、それぞれの個性か、まぎれもない飯守さんの音ながら、微妙に染まり方が違うのが面白いです。
中でも、都響の染まり方(煽られ方?)は、都響らしくて素晴らしい!

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