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2016年2月の3件の記事

2016年2月17日 (水)

東京二期会「イル・トロヴァトーレ」(2016/02/17)

2016年2月17日(水)18:30
東京文化会館

《パルマ王立歌劇場とヴェネツィア・フェニーチェ劇場との提携公演》
東京二期会オペラ劇場
ヴェルディ:イル・トロヴァトーレ

終わりよければすべてよし。
後半(休憩後の第3幕、第4幕)、素晴らしかった!

前半は、「う~~ん、期待が大き過ぎたのかなぁ…」「初日だからかなぁ…」とも思ったのですが、休憩直前(第2幕の最後)で、ようやく“バッティストーニ煽り”が“爆発”したので、「もしや、後半は…」と思ったら、その通りになったという…。

前半(休憩前の第1幕、第2幕)では、バッティストーニさんの棒が途中あまり加速せず、「一部の歌手がついてこれなくてアクセルを踏めないのかなぁ…」とも思いましたが、逆(歌手もちょっと歌いにくかった)かもしれず、私の耳ではわかりません。

都響のピットでオペラを聴くという喜びは随所に…。
でも、もし東フィルだったら??とういう思いも…。

後半は挽回しましたが、東フィルがスポーツカーだとしたら、都響はドイツの高級車か?という印象。
どちらも運転手は、運転が荒い??バッティストーニさんですが…。

歌手は、並河寿美さんと清水華澄さんが前半から好印象。
でも、前述のように、休憩時間にみんな目を覚ましたように良くなりました。
エクトール・サンドバルさんは、私は良いと思ったのですが、終演後にロビーで大声で酷評している方がいらっしゃって、小心者の私は、黙ることにします。

この日のの清水華澄さんに限った話しではありませんが、年末に在京オケの第九で高貴に歌っていた歌手が、別人のような下品さで(←褒めてます)役になりきるところがオペラの面白さ。
いや、全員がそういうレベルでもなかったような気も少々…。
(すみません、私は個人的に清水華澄さんのファンなので、バイアスがかかっていると思います。)

演出は、「高層階からではよくわかりませんでした」とごまかすしか…。
暗い中で赤い色の衣装や布で何かを表しているのかもしれませんし、なぜか前半だけの炎も何かを表していたのかもしれません。
でも、高層階から見えるのは床ばっかりなもので…。

都響に関しては、(何度も同じようなことをすみませんが)後半は旋律もかなり甘美に奏で、“バッティストーニ爆発”もかなりありましたが、2日目以降はさらに良くなるのでは?という印象も少々。
(でも、別のオケで、初台のピットの初日で噛み合わない時に比べれば上々?)
(その別のオケも定期演奏会は、ピットの時とは別のオケのように(ややこしくてすみません)素晴らしいので、よくわかりません。)

前半と後半でこれだけ印象が違いますし(会場の反応も)、オペラは生き物なので、おそらく2日目、3日目、4日目と、かなり変化するのではないでしょうか。
もう一回くらい行って確かめたいところですが、日程的に私はこの日だけしか鑑賞できません。

バッティストーニさんは(たぶん)まだ生は3公演目なのに、偉そうに感想を述べてすみません。
別オケとの「トーゥランドット」は、演奏会形式だし、定期演奏会だし、同次元で比べてはいけないことは承知しております。

スタッフ
指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出:ロレンツォ・マリアーニ
美術:ウィリアム・オルランディ
照明:クリスチャン・ピノー
演出補:エリザベッタ・マリーニ
合唱指揮:佐藤 宏
音楽アドヴァイザー:田口興輔
公演監督:直野 資

キャスト
レオノーラ:並河寿美
マンリーコ:エクトール・サンドバル
ルーナ伯爵:上江隼人
アズチェーナ:清水華澄
フェルランド:伊藤 純
イネス:富岡明子
ルイス:今尾 滋
老ジプシー:三戸大久
使者:吉田 連

合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京都交響楽団

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2016年2月12日 (金)

カンブルラン/読響(2016/02/12)

2016年2月12日(金)19:00
サントリーホール

指揮:シルヴァン・カンブルラン
読売日本交響楽団

(第555回定期演奏会)

モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

最初、曲目を見たときは「題名だけで並べちゃって…」と思いましたが、聴いてみると意外と心地良い組み合わせでした。

2曲続けて間合いを置かずに演奏…のわけはなくて、ちゃんと休憩15分を挟んでの演奏(当たり前)。
純度の高いモーツァルト。
ただ美しく鳴らしているだけのようでいて、素晴らしい感興。
強調されてはいないけど切れ味があり、シャープ目のサウンドがキビキビと、やや速め(楽章によってはかなり速め)のテンポ。
ピリオド・スタイルではありませんが、きりりと締まったモーツァルトです。

後半のマーラーも、極めて純度の高い演奏。
煽らない。
力まない。
(真っ赤な赤鬼のような形相で指揮しているにしても。)
なのに音楽は自然と高揚(紅葉?)し、白熱し、瞬時にまた弱音に戻り…。
興奮と言うよりは、感銘と言った方が良い体感の名演、銘演。

“ピュアトーン”と形容される指揮者は他にいらっしゃいますが、この演奏も“カンブルラン様流のピュアトーン”ではないでしょうか。
がなり立てず、バカ騒ぎにせず、格調高く鳴らし、それでいて全く物足りなくない、精神が浄化されるような浮揚感。

がなり立てないからこそ、一気に弱音に変貌する場面も、無理なく濁りなく鳴らす。

この曲は、複雑系を包み込んで調和にしてしまう演奏もあれば、複雑系をありのままに鳴らしてさらけ出す演奏もあると思います。
カンブルラン様の演奏は後者ですかね。

“コントロールし過ぎ”と感じる方がいらしてもおかしくない、オケを完全に掌握した演奏。
私はポジティヴにとらえました、いや、感じました。

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2016年2月11日 (木)

高関健/東京シティ・フィル(2016/02/11)

2016年2月11日(木・祝)14:00
ティアラこうとう

指揮:高関健
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
(第44回ティアラこうとう定期演奏会)
ヴァイオリン:会田莉凡

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
プロコフィエフ:交響曲第5番

いきなり、会田さんの強烈な音にのけぞります。

それなりにキャリアを積まれていることはプログラム冊子のプロフィールを見れば載っておりますが、“若手”というレッテルを先に貼って席についた私。
しかし、その音は想像を絶するパワーでした。

技巧性の誇示とか、叙情性への傾斜はせず、強烈な音の放射の持続として弾ききったヴァイオリン独奏。
もう少し内面への凝縮もあれば…と欲張ったことを言うのはお門違いなのでしょう。
発散する音のエネルギーに圧倒されたことは事実です。

こうした演奏を聴くと、この曲も、既に定盤の古典に入った曲だと実感します。
難曲などではない。
いろいろな解釈があり得る。
そのひとつの解釈を、有無を言わさぬ説得力で弾ききる。
会田さん、恐るべし。

難曲ではないと言っても、高関さん、プレトークで「難しい曲」とおっしゃっていました。
しかし、裏でどんな苦労をしても、本番ではそんな様子を一切見せないのがプロ。
平然と指揮し、平然と弾ききった“普通に素晴らしい”演奏。
その“普通”が大変なことは、素人ながら承知しております。
その証拠に、演奏前に出てきたときの会田さんの表情と、演奏が終わって笑顔になった会田さんの表情は、別人のようでした。

後半の交響曲では、さらに“高関さんの音”が“深化”した印象。
構築しただけではない。
組み立てただけではない。
うねる大河の流れのような音に深い情感も宿る。
このオケの深い音は、前半はソロヴァイオリンに気を取られて私が気づかなかっただけでしょうか?

強いて言えば、ごく一部の管楽器奏者が、時おり“突拍子のない音”で加わったような印象を受けたのが気になりました。
私には、あの音が高関さんの意図した音とは思えなかったのですが…。
まあ、それは全体から見ればごく一部なので横に置いて、全般的には高い満足感と興奮を得られる演奏でした。

この日は疲れ気味だったので、集中力はあまり…。
(それなのに偉そうに感想を述べてすみません。)
寝落ちはしませんでしたが、時おり目を閉じて聴いていました。
その結果、第3楽章で、ふと気がついたら高関さんが素手で振っていて、あれれ?と思ったら、第4楽章の前に自ら指揮棒を拾っていました。

20160211

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