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2016年7月の6件の記事

2016年7月23日 (土)

ノット/東響(2016/07/23)

2016年7月23日(土)15:00
ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ジョナサン・ノット
東京交響楽団

(フェスタサマーミューザKAWASAKI2016)

ヴィラ=ロボス:ニューヨーク・スカイライン・メロディ
アイヴズ:ニューイングランドの3つの場所
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ベートーヴェンじゃないみたい。
田園じゃないみたい。
ある時は「…による交響的変容」のように、ある時は「ベリオ編」のように??
そして一転、ある時は協奏交響曲のように…。

グロテスクを内包していながら、爽快な外皮でくるんだ田園はある意味異様、ある意味スリリング。
「新時代の幕開けか?」とすら言いたくなりました。

のっけから、田舎に着いた時の気分…ではないざわめき。
何かが起こる。起こる前触れのような…。
当然、第3楽章から第4楽章で、ひと騒ぎ起きます、そういう曲ですから。
第1、第2楽章からその前触れのような影を感じたのは私の思い込みのせいでしょうか?
そして一転、第5楽章は…。

第1、第2楽章の何かが起こる予感、第3、第4楽章で当然起きる騒ぎ、そして第5楽章は、全てが過ぎ去った喜びを謳歌するような開放感…と言うより高揚感。
本来の田園交響曲に戻ったようでいて、コラールのような高らかさの異様感も併せ持つ一気呵成の凄演。

前半、個人的な体調で少し眠かったのが、この田園で目が覚めました。
引き込まれるように聴きましたが、次々に過ぎ去って行く音、音、音、この日のこの演奏くらい、もう一回聴きたい、もう一回聴いて確かめたい…と思った演奏はないかもしれません。

その前半も“外皮でくるんだ演奏”でした。
おそらく複雑怪奇な構造を、内的に融合させて、マイルドな外皮に包んだ演奏?
それでも、金管の壁からの反射音で「あれ?オルガンの所にバンダが居るの?」と一瞬錯覚したりしました。
相当に複雑、相当に大音量を、融合した音で鳴らした東響のポテンシャル高し。
前半は個人的にちょっと疲れ気味で、まったりと聴いていたので、見当違いであればご容赦を。

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2016年7月17日 (日)

東京二期会「フィガロの結婚」(2016/07/17)

2016年7月17日(日)14:00
東京文化会館

東京二期会オペラ劇場《二期会名作オペラ祭》 
モーツァルト:フィガロの結婚

これは面白い!
ただ面白いだけじゃなくて、音楽的にも高度に鳴らし、歌った上での面白さ。

柔和で弾力性のあるオケの音が心地良い。
そのオケの音に乗って、演技達者な歌手陣がスピード感を持って動き回る。
動きを伴っての、乱れないどころか、動きと表情が声に載る歌唱が素晴らしい。
噂の伯爵(小森さん)の存在感と、それがゆえのコミカルなときの面白さはお見事!
いやいや、主役陣は皆、お見事!
いや、主役じゃない方々のテンションの高さもお見事!
皆さん、オペラのステージに立てる喜びが満ちあふれていたかもしれません。

ストーリーを知っているのにハラハラ、ドキドキ。
オチがあるのを知っているのに笑い。
楽しいひと時の後、幕切れの少し切ないハッピーエンド。
くすくす笑いながらちょっと目がうるうるする舞台。
歌手陣の体当たりの(しかし緻密に動作を演出で刻み込んだ)動きと歌唱の両立、。
ピットの極上の、これぞ古き良き時代のモーツァルトの音。
その古き良き時代のモーツァルトにスピード感が宿る。

終わりだけでなく全て良し。

私はこのプロダクションを観るには初めてでしたが、すでに回を重ねている公演なので、そこそこ書いても良いでしょうかね。
最後の最後、あれだけ動き回っていた主役陣が急に棒立ちの歌唱になり、「あれれ?」と思ったら、背後の人々がドッと動き、照明がドドドンっと…。
演出の重箱の隅を突こうとしたら、その演出にやられました。

ゲッツェルさんのオペラって、フォルクスオーパー来日公演以外聴いたことがないですけど、フォルクスオーパーのオケ以上に、優美な「ウィーン」という単語を想起させる音に東フィルが染め上がっていたような印象。
スピード感もあり、まったりはしていないが、あくまでも柔和、弾力性、極上、極上。

オペラだけでなくコンサートでも、ゲッツェルさんは、私は聴いた回数は片手で数えられるくらいですけど、この日が一番良かったかも。
東フィルのピットもいろいろな時がありますけど、私は、モーツァルトのオペラの時の東フィルは「当たり」が多くて、今日もその通りでした。

新国立劇場がある東京で、二期会は新国立とは異なる方向性を打ち出して存在意義を誇示していますね。
演出然り、指揮者の人選然り。
動きの多い舞台、動きの多い舞台をこなして歌唱も輪をかけて多弁な歌手陣。
ビジュアル系のスリムな体型の歌手陣、…。

スタッフ
指揮:サッシャ・ゲッツェル
演出:宮本亜門
装置:ニール・パテル
衣裳:前田文子
照明:大島祐夫
合唱指揮:大島義彰
演出助手:澤田康子
舞台監督:村田健輔
公演監督:大島幾雄

キャスト
アルマヴィーヴァ伯爵:小森輝彦
伯爵夫人:大村博美
ケルビーノ:小林由佳
フィガロ:黒田博
スザンナ:嘉目真木子
バルトロ:妻屋秀和
マルチェリーナ:押見朋子
ドン・バジリオ:高橋淳
ドン・クルツィオ:渡邉公威
アントニオ:鹿野由之
バルバリーナ:盛田麻央
花娘1:藤原唯
花娘2:宍戸茉莉衣

合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

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2016年7月16日 (土)

ノット/東響(2016/07/16)

2016年07月16日(土)18:00
サントリーホール

指揮:ジョナサン・ノット
東京交響楽団

(第642回定期演奏会)

ブルックナー:交響曲第8番

いつもは艶やかな東響の音ですが、つや消し加工を施したようなちょっとくすんだような音色がなんとも言えず味わい深い。
そのつや消しが音に深みを与える。
深化、深化、深化、鳴らしても鳴らしても、深み、深み。
アンサンブルはもしかしたら、明日はさらに良くなるかもしれませんが、この演奏に対して細部のことをあげつらったら叱られます。
人工的な印象が全く無い素朴な響きは得難い体感。

ノット監督って、ライヴの人なんだなーと思います。
私は2日聴き比べたことは私はありませんが、ネット上の情報から類推すると、日によって結構違うような??
いや、この日の演奏だって、第3楽章までと、第4楽章で、ちょっと、いや、結構印象が違いました。
第3楽章までは、微弱音だけでなく、金管の咆哮まで、鳴らしても、えぐっても、煽っても、内省的な深みを感じました。
それが第4楽章では、かなり開放的に鳴っている体感。
凝縮から爆発へ…と言ったら言い過ぎでしょうか。

この幸せの80分。
演奏が終わって、静寂がホールを包む。
その瞬間、静寂を突き破る「一人ブラボー」が…。
一瞬会場に殺気が立ちこめますが、皆さん気を取り直して、拍手、そしてノット監督が客席の方を向いたときは、嵐のようなブラボー。
そして、オケが引き上げた後も拍手は続き、ソロカーテンコールに。

まあ、あの「一人ブラボー」、確かに残響は消えた後だとは思いますが…。

思い起こせばノット監督の就任披露のサントリー定期、壮絶なマーラーの9番に会場が打ちのめされて、フラブラどころか、ノット監督が1回舞台袖に入って再度出てくるまで、会場はブラボーも叫べなかったような…。
その後は物凄いブラボーの嵐。
この日もそれに近かったのに、約1名、平然と「一人ブラボー」を叫べたお方が…。

ただ、東響定期は、在京オケの中でも「拍手は指揮者のタクトが…」の定着は遅い方で、つい最近だったと思います。
読響定期や都響B定期あたりで「すぐの拍手はNG」が定着した後も、かなりの期間、終わるやいなの拍手が普通でした。
それを思えば??…いや、違う…??

閑話休題。

ノット監督って、私にとっては「こういう指揮者だよ」「こういう音を鳴らす人だよ」「こういう演奏をする人だよ」というレッテルが貼れない指揮者で、毎回、毎回、本当に引き出しが多いなぁと思います。
予定調和のように終わる演奏会ではなく、どうなるかちょっと予想がつかないところも毎回楽しみです。

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2016年7月 4日 (月)

ハーディング/新日本フィル(2016/07/04)

2016年7月4日(月)19:15
サントリーホール

2016年7月2日(土)14:00
すみだトリフォニーホール

指揮:ダニエル・ハーディング
新日本フィルハーモニー交響楽団

(第560回定期演奏会)
罪深き女:エミリー・マギー
懺悔する女:ユリアーネ・バンゼ
栄光の聖母:市原愛
サマリアの女:加納悦子
エジプトのマリア:中島郁子
マリア崇敬の博士:サイモン・オニール
法悦の教父:ミヒャエル・ナジ
瞑想する教父:シェンヤン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭
児童合唱:東京少年少女合唱隊
児童合唱指揮:長谷川 久恵

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

到達点だと思った2日前の土曜日は通過点でした。
オケの音は機動性(指揮への追従性能)を増し、弱音部の柔らかい響きは極上感を増しています。
大音量で圧倒する演奏ではなく(土曜日は、そちらへ行きかけていましたが)、スリムな音像を絡み合わせて至福の極楽浄土(←仏教徒ですみません)へと誘う演奏。
この曲で、こんなに心を洗われる体感は初めてかもしれません。

もしかして日曜日にも練習してのでは?…と思うくらい、オケの音が良くなっています。
いや、合唱だって、微弱音の音色は向上している。
もちろん、ホールが違いますし、サントリーの場合は合唱はP席に陣取って、比較的余裕のある配置。
(それでも、通路にもクッションを置いて座ってましたけど)

オケは、指揮の煽りに音が飽和したり粗雑になったりすることなく、ふわっと音が出て一気に大音量まで継ぎ目なく飛翔する。
至福、至福、至福、かつてこのコンビで4番を聴いた時を凌駕する魂の浄化。

こんな歌手呼んじゃって予算は大丈夫?というような独奏陣も、金、土と連続だった土曜日にも増して、パワー全開の歌唱。

残念ながら、魂の浄化のように曲が終わるや否や、ブラボーを叫んだ(つぶやいた?)方が居らして、忘我の境地が台無しになった感も少々あります。
その後のカーテンコールでのブラボーの嵐の音量からすると、会場の皆さんの大半がそういう気持ちだったのではないかと拝察します。
う~ん、それだけが残念。

ハーディング様がカーテンコールコールでの花束贈呈の後のスピーチで述べたように、このコンビのスタートは3.11でした。
途中も噛み合わない時も多々あり、今回も来日遅れ等色々ありましたが、これ迄の苦難の道のりを思えば、このような演奏で最後を飾れたことは幸せと言うべきでしょう。

私は会員なのに個人的に色々あって欠席が多かった(空席作ってすみません)のでわかりませんが、NJP定期でハーディング様のソロカーテンコールってどれくらいあったのでしょう?
私はこの日が初めてでした。
確かにこの日は、「任期最後だから」を抜きにして、ソロカーテンコールにふさわしい演奏だったと思います。
終わりよければ全て良し…と簡単に言えないほど、このコンビには色々ありました…。

NJPの近年は、アルミンクさんの最後、メッツマッハーさんの最後(個人的嗜好ではこれが一番残念)、そしてハーディングさんの最後と、めまぐるしい感もありました。
間もなく着任する新音楽監督との相性が良いことを心から、期待したいと思います。

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2016年7月 3日 (日)

園田隆一郎(P&お話し)(2016/07/03)

2016年7月3日(日)15:00
湘南台文化センター市民シアター

園田隆一郎のオペラを100倍楽しむ方法Vol.3
ピアノ&お話し:園田隆一郎

ソプラノ:高橋薫子
メゾソプラノ:脇園彩

モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」~「妹よ見てごらん」(高橋・脇園)
モーツァルト」「フィガロの結婚」~「恋とはどんなものかしら」(脇園)
モーツァルト」「フィガロの結婚」~「恋人よ早く来て」(高橋)
モーツァルト」「フィガロの結婚」~「開けてよ早く」(高橋・脇園)
ロッシーニ:「亡命者」(脇園)
ロッシーニ:「赤ちゃんの歌」(高橋)
ロッシーニ:「ラ・チェネレントラ」~苦しみと涙のうちに生まれて」(高橋・脇園)
アーン:「もし私の詩に翼があれば」(高橋)
ビゼー:「カルメン」~「セヴィリアの城壁近くの酒場で」(脇園)
グノー:「ロメオとジュリエット」~「私は夢に生きたい」(高橋)
ドリーブ:「ラクメ」~「白いジャスミンとバラの下で」(高橋・脇園)
ロッシーニ:「アルジェのイタリア女」~「酷い運命よ」(脇園)
ロッシーニ:「セミラーミデ」~「麗しい光が」(高橋)
ロッシーニ:「セミラーミデ」~「永遠に忠実な心を」(高橋・脇園)
山田耕筰:「この道」(脇園)(アンコール)
木下牧子:「竹とんぼに」(高橋)(アンコール)
ロッシーニ:「セビリアの理髪師」~「今の歌声は」(高橋・脇園)(アンコール)

会場の市民シアターは初めて行きました。
音楽専用ホールではなく、演劇などを想定したホールと見受けましたが、客席が半円形、かつすり鉢状に配置され、舞台が非常に見やすい。
その配置が、おそらく残響少なめにもかかわらず、ピアノも声もはっきり聞き取れる好感の音響効果を生んでいたように思います。
約600席というキャパも、こういう演目にはちょうど良いかもしれません。

可憐でコロコロ転がるような高音が楽しく快い高橋さん、深みのある声ながら重々しくなく高音に駆け上がることも可能な脇園さん。
二人に共通するのは「芸達者」!!です。
歌っている時のちょっとした仕草も、オペラの舞台経験から来る自然なもの。
顔の表情も豊か、そして、当然のことながら声の表情も多彩。

脇園さんは若手ながら、既に海外で舞台経験を積んでいる自信が、声と所作に表れる好演。
高橋さんはこの上り調子の若手とパワーで張り合おうとせず、持ち味の美声をコントロールし、だからと言ってパワー不足の感もない貫禄(←貫禄という言葉が似合わないほどの美声ですが)。

もちろん、れっきとしたオペラのマエストロが、ピアノを弾きながらリードしたからこその表現も多々あったのでしょう。
ピアノは、ピットでの経験が豊富な指揮者が弾く以上は、単なる伴奏になるはずもありません。
最初のうちこそ、マエストロ、本当はピアノではなく、オケでつけたいのだろうなぁ…という印象もありましたが、曲が進むにつれてそんな印象は後退し、ピアノは歌に絶妙に寄り添い、時には一瞬前に出たりして楽しい。

何よりも、3人とも舞台を楽しんでいるのが聴衆にも伝わってきました。

園田隆一郎さんは、藤原歌劇団「ルチア」(2011年)、「夢遊病の女」(2012年)以来、ずっと非常に気になる指揮者でしたが、巡り合わせが悪くてずっと聴けませんでした。
つい先日に開催された日生劇場の「セビリアの理髪師」も、体調が思わしくなく、聴けませんでした。
ピットで聴きたい指揮者ではありますが、ピアノであっても聴けたことを喜ぶべきでしょう。

園田隆一郎さんは、トークの方も面白い。
イタリアオペラのことは、語りたくて、語りたくて、たまらないのでしょうか。
それが当然、音に表れているように思いました。

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2016年7月 2日 (土)

ハーディング/新日本フィル(2016/07/02)

2016年7月2日(土)14:00
すみだトリフォニーホール

指揮:ダニエル・ハーディング
新日本フィルハーモニー交響楽団

(第560回定期演奏会)
罪深き女:エミリー・マギー
懺悔する女:ユリアーネ・バンゼ
栄光の聖母:市原愛
サマリアの女:加納悦子
エジプトのマリア:中島郁子
マリア崇敬の博士:サイモン・オニール
法悦の教父:ミヒャエル・ナジ
瞑想する教父:シェンヤン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭
児童合唱:東京少年少女合唱隊
児童合唱指揮:長谷川 久恵

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

有終の美を飾るにふさわしい記念碑…と言って良いでしょう。
ハーディング様がさらにえぐり、ひねりたい箇所もあったかもしれませんが、これだけの大編成、よくぞここまで…と言うべきでしょう。
オーケストラについては、ごく一部、流すだけになりかける場面もありましたが、すかさず、ハーディング様が指揮棒で活!を入れ、概ねハイテンションを維持しました。
合唱は、時にはオケ以上に指揮の変化球?に反応する場面もありました。

ステージ上は、文字通りびっしり。
舞台上手のピアノは、奏者はステージへの出入り口を入ってすぐの場所に座る配置。
弦楽器奏者、管楽器奏者、打楽器奏者が入場し終わると、通路だと思った位置にチェレスタ?が配置されて通路をふさぐ。
仮に弦楽器奏者の弦が切れても、外に出ていくことすら出来ない状態。

ナジさんとシェンヤンさんは、第1楽章終了後に移動し、1階最前列の前を通って、指揮台の右横に設置された階段をあがってステージへ。
第2楽章の冒頭では、オケの前に立って歌いました。

そのお二人を含む独唱の歌手の皆さん、よくぞこれだけ揃えた!と、あきれるほどの熱唱。
(裏方さんの資金繰りにも大拍手!)

ゆったりとした美弱音でのオケに、もう少し…という箇所が無かったとは言わないが、それは贅沢というもの。

思い起こせばこのコンビ、ブラームス・ツィクルスの頃は、指揮の煽りにオケが追従出来ず音が飽和してしまうことすらあった印象です。
この日は違いました。
3.11が無かったらこのコンビに違う歴史があったかもしれませんが、それでも、紆余曲折を経て、こういうラストを迎えられたことを喜ぶべきでしょう。

至福から興奮へ、そして充足感へ。

大音響が消えても、フライングのブラボーも無し。
1~2人?終わるやいなや?拍手をしかけましたが、満席に近い会場は、トリフォニーのやや短めの残響が消え、ふた呼吸くらいしてからの大拍手。
めでたし、めでたし。

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